アクト・オブ・キリング
謎の多いプレマンの秘密を探る話
制作年 | 2012年 |
制作国 | イギリス/デンマーク/ノルウェー |
監督 | ジョシュア・オッペンハイマー/クリスティーヌ・シン/匿名者 |
上映時間 | 206分 |
だいたいのあらすじ
1965年インドネシア政府はクーデターにより軍に権力を奪われ、100万人を超す人々が「共産主義者」という名目で虐殺されました。
虐殺の実行者は「プレマン」と呼ばれるやくざや民兵であり、以来彼等は権力を欲しいままにしています。
プレマン達は今でも虐殺の様子を誇らしげに語っているので、当時の様子の再現を依頼したということです。
制作サイドはアンワル・コンゴという1965年の殺人者に接触しました。
まずは当時の共産主義者役になってくれる女性を探したのですが、なかなか成り手がなく、ようやく家を燃やされて嘆くシーンを撮影しました。
アンワルは自分の行った虐殺を誇らしいことだと考えており、この映像は後世に語り継がなければならないと話していました。
そしてアンワルは虐殺現場にスタッフを連れて行き、「最初は撲殺してたけど血が出て後始末が大変だったからワイヤーで首を絞めるようにした」と様子を楽しそうに再現して見せました。
それでも当時はやはり殺人に抵抗があったのか、その後は大麻やお酒を呑んでハイになり、踊って忘れたそうです。
アンワルに子供の頃、、面倒を見てもらったスマトラ知事は「最近共産主義者が歴史を巻き戻そうと、共産主義者の子で誇らしい等と言っているが、民衆は受け入れないだろう」と語りました。
彼によれば共産主義者よりはやくざであるプレマンの方がましだそうです。
アンワルはかつては映画館の前でダフ屋をやっていたのですが、共産主義者が「アメリカ映画の上映を減らそう」と言い出したので売り上げが下がったそうです。
そして映画館の近くでも沢山の人を殺したとアンワルは楽しそうに語ります。
後日、アンワルは新聞発行人の事務所に案内してくれたのですが、共産主義者に対しては裁判等が行われず、発行人が尋問して「有罪」と言えば死刑が確定したようです。
新聞発行人はプレマンとズブズブな関係で政府関係者にもコネクションがありました。
発行人は軍とは無関係であり、質問もクソもなく回答を都合よく捏造して有罪としていたそうで「俺のウィンク一つで有罪になるが、手は下してない。青年団がやった。」と誇らし気に語っていました。
彼が青年団と呼んでいるのはインドネシア最大の民兵組織パンチャシラ青年団であり、9月30日事件での虐殺の首謀者でした。
現在でもパンチャシラ青年団には300万のメンバーがおり、彼等にとってアンワルのようなプレマンは英雄でした。
代表は今現在でも「パンチャシラ青年団は共産主義者を撲滅した英雄」と未だに共産主義者の撲滅を演説して拍手喝采されていました。
そしてここまでの映像をアンワルに家族と共に見てもらったのですが、彼の感想は首絞めのシーンで「もっと残忍にやればよかった。白いズボンを履くんじゃなかった」ということでした。
後日、普段より着飾ったアンワルはどこかの事務所で「ここでテーブルの脚を男の首に乗せ、その上に座った」と楽しそうに語りました。
そして当時はテーブルの上で皆で歌い、被害者が死んだら死体をどけたそうです。
また、当時は共産主義者の中国人が沢山いたのですが、お金を払えば見逃したとアンワルは語ります。
現在でも地元の民兵のリーダーも華僑の人達の店を回っては脅し、お金を巻き上げています。
現在のユフス・カラ副大統領はパンチャシラ青年団を支持しており、この国にプレマンは絶対必要と演説しています。
また、アンワルは当時の政府が作った共産主義者が残虐に民間人を拷問するプロパガンダ映画を観ながら、「俺たちはもっと残虐な方法で奴らを殺してやったから誇らしい」と語りました。
ある日、アンワルは飛行機を降り立ったアディ・ズルカドリという当時の殺人者をを出迎え、町を流しながら当時の思い出を語りました。
アディはあのプロパガンダ映画のことを質問され、「あんな映画は嘘っぱちだ」と語っており、アンワルは「よそ者の前であの映画のことを悪く言わない方がいい」とそれを咎めました。
その後、二人に尋問の様子を再現してもらったのですが、ろくに質問もしていないと見え、時代設定を間違えたりしていました。
また、アディは俺の父が共産主義者だったら殺したお前のことを恨むだろうとアンワルに言い、「俺達ではなく政府からの正式謝罪は必要だろう」と言いました。
政府かよ!って思いました。
しかしアディは「俺たちは殺したのは産まれながらの敗者」とも語っていました。
アディは華僑を一掃する作戦で当時付き合っていた彼女の父親も殺したのだそうで、その時の様子をアンワルに楽しそうに語っていました。
アンワルの隣人は継父は華僑で、プレマンに殺された挙句、一家追放になって学校にも行けなかったと語ったのですが、アンワルはそれを楽しそうに聞いていました。
そしてその隣人を被害者にして拷問が行われたのですが、当時の新聞記者はそれを見て「俺はこんなことが行われていたのは知らなかった」と言い出したのですが、アンワルとアディに「お前の上司が首謀者」と全力で突っ込まれていました。
全てを戦争責任とするアディに「国際法違反についてはどう考えているか」と質問したところ、「俺は国際法には否定的」とした上で「国際法は勝者が勝手に作るものであり、俺も勝者だから勝手にする」とのことでした。
ハーグの国際法廷に招致されたらどうするかとの問いに対してアディは「有名になれるから行く。罪悪感はない」と即答しました。
アンワルはアメリカの西部劇やギャング映画の大ファンで映画を観るたびに影響を受けてカッコいい殺し方を学んだのだそうです。
彼はカウボーイの扮装をして首にロープを架けて殺害する方法を実演して見せました。
また、アンワルの部下ヘルマンは労働党に立候補するそうで、目的は権力を身に着けて住人を脅してお金を巻き上げることだそうです。
インドネシアでは未だに選挙には賄賂が用いられているのだそうで、集会に集まる人もお金目当てなのだそうです。
ヘルマンはろくに演説もできず、お金も撒けないので落選しました。
アンワルは未だに悪夢にうなされているそうですが、根本となっているのは車から降ろした男が歩かなくなったので、ナタで頭を落とし際の出来事だそうです。
男は生首となっても目を見開いてこちらを見ていたらしく、あの目を繰り返し見るのだとアンワルは言います。
民兵のリーダーであるアル・ハジブは住民を脅しては安く土地を手に入れ、転がして大儲けしていました。
その後、アンワルは国営放送に呼ばれることになり、絶賛を受けていました。
この番組には民兵も多数出演し、「なぜ被害者は仕返ししないのでしょう?」というアナの質問には「したら皆殺しだ」と平然と答え、絶賛の嵐を受けていました。
その後、映画の撮影現場には青年スポーツ副大臣が見学に来ることになり、民兵の衣装を着て「殺し屋が揃っとるな」と陽気に現れました。
当時の虐殺を再現するため、副大臣は「共産主義者を殺せ!」と叫んで民兵に復唱させ、アンワルは「首を斬れ!家を燃やせ」と呼び掛けました。
副大臣はその後、さっきのシーンは我々が血に飢えているようで酷かったと体裁を繕っていました。
その後、副大臣が引き揚げた後に村に行われたという大規模虐殺のシーンを撮影し、エキストラで参加した民兵は喜々として演じていました。
アンワルはこのシーンの際には複雑な表情を浮かべており、「痛めつけられた上に家まで焼かれて子供達の将来はどうなるのだろうと嫌な気持ちだった」と打ち明けました。
今更ですよね。
感想
これは普通です。
謎に包まれている9月30日事件のあらましを当時の民兵にインタビューして再現しましたという内容です。
演じてもらうという依頼なので、自主映画を作成する体になっており、その中でメイキング的に話を聞いたり、普段の生活に密着したりという感じになってます。
個人的に9月30日事件には興味があったので観てみたのですが、そうでない人には退屈かも。
どうも洗脳とかそういうものでも無いようで、結局は欲得ずくで権力目当てと見える所が恐ろしいです。
でもなぜあそこまで反共に走ったのかがイマイチわからないです。
何しろ当事者たちでさえ、自分たちが共産主義者のレッテルを貼りまくって殺害していた理由がわからないということですから。
離れて観ているとなんとなく国民性なんじゃないかな?という気もします。
インドネシアの人をディスるつもりはないですが、アンワルの「良い服を着たくてどんな悪事でもやった」という意見が全てな気がします。
目先のことしか見えていないので社会性とかそういう考え方は無かったんでしょう。
政治と治安が安定しないと難しいですよね。
恐ろしいのが2012年当時だとプルマンという人たちが未だに幅を利かせてるという点です。
プルマンというのは自由人を指しているらしいのですが、自由の定義の幅が広すぎで、周りに迷惑かけていい自由とかないと思います。
民兵を組織しているのも単なる自分達を正当化する大義名分がほしいからかな?と思ってしまいます。
ただ、エンディングを見る限りだと、一人の男を動かすことはできなかったけれど考えるきっかけにはなったのかなあという気がしました。
ラストまでのあらすじ
スタッフから「因果についてどう考えている?」と質問されたアンワルは「俺の手足が不自由になってもおかしくないだろう」と返答しました。
反対にアディには全く罪悪感が無いそうで、家族と幸せに暮らしながら俺は悪いことはしていないと主張していました。
その後、尋問シーンを撮影していたのですが、アルマンは女子供でも容赦なく殺し、逆に拷問の材料にしていたようです。
次第に熱が入った彼等は娘役の人形を何度も刺し、父親役をガチで棒で殴っていました。
そして今度はアンワルが拷問される役を演じたのですが、拷問を受ける役はこなしたものの殺される演技には限界を感じたようでした。
それから彼は俯いてずっと考え込んでいました。
アンワルの自主映画は彼が殺されて猿に食われるシーンを取り終えた後に滝の前で美女が踊るエンディングらしきシーンを撮影していました。
そこでは共産主義者達がアンワルの首にメダルを掛け、「殺してくれたことに1000回感謝したい。ありがとう」と語りました。
アンワルはエンディング映像を見て「素晴らしい映画だ」と感動していたのですが、なぜかもう一度自分が針金で殺害されるシーンを見たがりました。
そして孫を呼んできて拷問を受けているシーンを見せた後に「俺が拷問した人も同じ気持ちだったのかな?」と言い出します。
ちょっと次元が違いすぎです。
このシーンを振り返ってアンワルは「撮影中に俺は恐怖を感じた。拷問された人の気持ちが分かった」と述べました。
スタッフが「あなたが拷問した相手はもっと苦しんだ。これは映画だが、あなたの相手は自分が死ぬことを分かっていた」と告げるとアンワルは亡きだし「報いは受けたくない」と言います。
最後にアンワルは一番最初に撮影した場所に行き、「この場所で俺たちは沢山の人を殺した。いけないことだが、仕方なかった」と言いました。
彼はゲーゲーと吐きながらも「なぜ俺は殺したか?殺すしかなかったからだ。俺の良心が殺すしかないと命じた」と自問自答しました。
彼は泣いているようでしたが、それをフォローするようにダンスシーンが流れます。
エンドロールで終了です。